母親のことをお袋と呼び始める日と、一人称が「わし」になる日

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ゆとり世代だけど、「ママ」から「お母さん」への移行さえ困難なのに、そっからまた「お袋」と呼び換える日はいつ来るのだろうか。

そしてゆとりには、おじいさんたちは、いつから自分のことを「わし」と呼ぶのかもわからない。

若い頃は粋がって「オレ」とか言ってたんじゃないの?

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パパとお母さん

私の家庭では母親は「お母さん」で父親は「パパ」である。

たぶん母親は東北の田んぼだらけの田舎育ちなので「ママ」という西洋風のモダンな呼称は虫唾が走るっぺ〜みたいな感じだったんじゃないか?(偏見)

一方父親は埼玉育ちで、シティーボーイとは言わないまでも、まあ東京の隣だしね、「パパ」でもいいかって感じだったんだと思う(適当)

母親の場合、最初から「お母さん」と呼んでいたので、特に別の呼称に移行する必要性は感じないが、問題は父親だ。

いくら埼玉育ちの凖シティーボーイとはいえ、もう65歳を超えている父親をいつまでも「パパ」というガキっぽい名称で呼び続けて良いのだろうか。

いつまでもパパと呼ばれている父親以上にパパと呼んでいる私の教養のレベルを疑われてしまいそうだから変えたいなあとは思う。

でもいままで「パパ」だったのに急に「お父さん」に変えるのがこっぱずかしい。

急に「お父さん」と呼び始めても、ノーリアクションで、スルーしてくれるならまだいい。

しかし、デリカシーもなく、「お、お前もついにパパからお父さんと呼び始めたのかあ〜大人になったなあ」とか微妙にリアクションされるとなんか居たたまれなくなる。

なので、未だに「パパ」と呼んでおり、「お父さん」への移行は先送りにしている。

ちなみにその私の父親は、彼の父親と母親、つまり私から見たおじいちゃんおばあちゃんのことを本人の前でも「じいさん」「ばあさん」と呼んでいる。

私の父親がどのタイミングでどのように、彼らの呼び名を「パパ、ママ」から(父はすでに65過ぎているのでパパとかママとかモダンな呼び名は普及してなかったかも?)「お父さん、お母さん」から「じいさん、ばあさん」に変換してきたのか気になるものだ。

ああ、外国人なら最初から最後まで「Dad」「Mom」なんだろうな。こうやって呼び方を変えるたびにいちいち照れ臭い思いをしなくて済むんだろうなと考えると羨ましい限りである。

「パパ」「ママ」から「親父」「お袋」へ移行の移行は大変だ問題

子はいつから親のことを「親父」とか「お袋」とか呼ぶようになるのだろうか。

一般的に親の呼称は

パパ→お父さん→親父

ママ→お母さん→お袋

という変遷を辿ると思う。

ただでさえ「パパ」から「お父さん」、「ママ」から「お母さん」に変換するだけでも照れ臭いのに、人はいつから「親父」とか「お袋」とかって呼び始めるのだろうか。

私はゆとりいわれる世代であるが、「親父」とか「お袋」って、一昔前の世代の人が使っているだけで、もしや我々ゆとり世代にとっては死語になるのであろうか。

「パパ」から「お父さん」の変化は世間体や発達段階にしたがって必要になるものである。

しかし「お父さん」という呼び名に到達してしまいさえすればわざわざレベルアップしてまで「親父」と呼び方を変えなくてはならない、という状況には置かれない。

社会的に見れば「お父さん」で十分で、むしろ「オヤジ」のほうがちょっと下品な耳障りになるからだ。

「親父」と漢字で書くと、「親」に「父」とであるが、カタカナにすると「オヤジ」である。

自嘲するときに、「もう自分はオヤジだからなあ〜」とか侮蔑的な「くそおやじ」とかのイメージがあるからか、わざわざご丁寧に頭に尊敬の意味の「御」がついてる「御父さん」と比べると「オヤジ」って呼ばれるとなんか格下というか、バカにされているというかリスペクト感が足りなくて、呼ばれる本人自体もなんか落ち込んだり、下手すると腹を立てたりしそう。

それとも「親父」への変遷のクッション材として「お父さん」から尊敬の「御」をとってあえて「父さん」と呼ぶ過程を経ているのかもしれない。

パパ→お父さん→父さん→親父

こんなかんじに。

お父さんから父さんへの移行は割とスムーズに行くかもしれないけどやっぱり父さんからオヤジへのジャンプはなかなか大きいものがあると思う。

「お袋」だってそうだ。「お袋」の語源は諸説あるけれど、子宮とか胞衣とかの「子供のふくろ」イメージから「おふくろ」がきているという説もある。

腹を痛めて産んでくれて育ててくれた母親を子宮としての記号で表現するだなんて、なんだか失礼っぽい呼び名のような気もする。

だから他人がいつから、どのようなきっかけで、どんな顔を晒しながらなぜ、「親父」と「お袋」に呼び換えるのか気になるものである。

もしや…人前ではカッコつけて「親父」とか「お袋」とかって呼んでいても実際に家では「パパ」とか「ママ」とかだったりするのだろうか。

やっぱり気恥ずかしかったり、自分が「オヤジ」と呼ばれることに抵抗感をおぼえる父親への配慮から本人に「オヤジ」と呼ぶのは遠慮しているものなのだろうか。

老人はいつから自分を「わし」と呼び始めるのか問題

似たような疑問に、老人がどのタイミングで一人称を「わし」に変更するのか、という謎もある。

昔話のおじいさんの一人称は大抵「わし」だったりするけど、いつから「わし」になったのか。

きっとこのおじいさんが青年だったときは「わし」ではなかったはず。

上品に「僕」と言ってたかもしれないし、カッコつけて「オレ」とか粋っていたかもしれない。

それなのに、急に何があって「わし」になったんだろう。

自分の老いを意識しはじめ、もういっそうのことなら老人としてのアイデンティティーを突っ走るってやるぜ!くらいの勢いがないとなかなか自分のことを「わし」と呼ぶ気にはならないと思う。

それとも「もう私もおばさんだからさあ〜」と、あえて自分からおばさん呼ばわりして、他人から直接おばさんであるという指摘を受けて傷つくのを避けようとしたり、「いや、まだまだ若いですよ」と相手に言わせることで他人に若さを肯定してもらいたかったりするいわゆる「年老いたコンプレックス」の裏返しの奇行をするおばさん的な行動なのかもしれない。

自分で「おばさん」と自称するおばさんと同様に、「わし」と自分から年老いた感じの一人称を用いることで、「私は自分が年老いていることは知っています。自分が若いだなんて思い上がっていませんからね、若作りなんてしてませんから!」と先回りして他人からの指摘を受けてあらためて傷つかないようにバリアを張ったり、「あなたはまだまだ『わし』って呼ぶ年にになってない。十分若いよ、お兄さん」と他人にツッこまれて自分がまだ年寄りではないと再確認したいのか。

いや、『桃太郎』とか、「かさじぞう」とかにでてくろあんな善良そうなおじいさんたちにそんなヨコシマな思想があるなんて思いたくないぞ。

まあコブ取り爺さんとか花咲か爺さんの悪い方の爺さんなら考えられなくもないけど…。

いや、桃太郎のおじいさんも桃が流れて来る以前に、子供が欲しかったのになかなかできなかったという設定があるから、年老いて自分が子作りできないことを認めたくない若さコンプレックスを抱えている説もあるかもしれない….。

でもゆとり世代の私たちにもいつかこんな日が来るのだろうか。

母親をお袋と呼ぶ日と、自分のことをわし、と呼ぶ日。

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